【和歌山小5殺害】森田君 負けず嫌いの剣道少年、誰からも好かれたムードメーカー
試合に負けても弱音を吐かない剣道少年だった。和歌山県紀の川市の空き地で殺害された市立名手(なて)小5年、森田都史(とし)君(11)。兄と参加していた地元の剣道クラブでは、やんちゃぶりも愛嬌(あいきょう)となり、誰からも好かれるムードメーカー的存在だったという。「まだ信じられない」「安らかに眠ってほしい」。7日夜には森田君の通夜がしめやかに営まれ、参列者らが冥福(めいふく)を祈った。
森田君の知人らによると、森田君が剣道を始めたのは同小2年のころ。大人から子供まで参加する地元の剣道クラブに、兄と一緒に通うようになったのがきっかけという。
よく一緒に練習していた50代の男性は、いきいきと竹刀を振っていた森田君の姿をよく覚えている。
「森田君は試合で『負けて悔しい』とは言っても、落ち込んで練習を休んだりするようなことはなかった」
冬の練習でも裸足になるのを嫌がらず、にこにこと笑顔を見せていたという。
一方で、「お母さんに言われたから(クラブに)通っている人?」と聞かれ、手をあげるような、ちゃめっ気たっぷりの一面も。周りを笑いに包むようないたずらをすることも多かったといい、クラブに参加していた別の男性も「とても人懐っこく、負けず嫌いな子だった。やんちゃをしても、つい許してしまうような愛嬌があった」と言う。
「みんなから『トシ』と呼ばれてかわいがられていた」と話すのは、同じクラブの男性会社員(21)。「お兄ちゃんが中学校に上がるまでは、いつも一緒に登下校していて仲が良かった。帰り道に2人を見つけて車で家まで送ってあげると、『ありがとう』と元気にお礼を言ってくれた」と振り返った。
森田君と仲良しで、同じ剣道クラブに通っていた息子を持つ30代の女性は、森田君の練習を目にする機会があった。「先生に打ちのめされて、へこんでも、すぐに打ち込んでくる。根が強く、たくましい子供だった」といい、突然命を絶たれたことに「まだ実感がわかない」と悲しみを新たにしていた。
一方、7日夜、紀の川市と隣接する同県紀美野町の葬儀場で森田君の通夜が営まれ、親族や知人、友人ら約300人が参列した。
午後6時半ごろには保護者に連れられた制服姿の児童らが次々と葬儀場へ。「下級生の面倒見が良かった」(学校関係者)という森田君だけに、年下と思われる子供たちの姿もみられた。
通夜は午後7時すぎから始まり、祭壇には笑顔でピースサインをする森田君の遺影が置かれ、参列者らが黙祷(もくとう)をささげた。森田君の父親は涙ぐみながら頭を下げていたという。
参列した同級生の男児(11)は「トシが本当に死んじゃったんやなと思った。悲しい」と涙ぐんだ。男児の父親(38)は「遺影を見ると元気なころの都史君を思い出して、いたたまれない気持ちになった。容疑者が逮捕されても都史君が亡くなった事実は変わらない。いまは静かに冥福を祈りたい」と悲しみに暮れていた。
(産経新聞より)